南海の美しい島、巨文島(コムンド)と白島(ペッド)
共に南海の海金剛と呼ばれる白島の奇岩怪石と天恵の秘境を誇っている。
船路に沿って三百里、多島海海上国立公園の巨文島と白島、異国的で夢幻的な巨文島は列強たちの受難史を代弁しているが、天然の秘境を抱く白島は依然として天のものである。英国、ロシア、米国、日本など世界の列強の簡易駅になった巨文島が人間の利害関係が作った歴史なら天帝の息子が下りてきて戻って行かなかったという白島は幻想的な39個の岩が作りあげた伝説の野史だ。
大きな門になる島、巨文島
よく巨文島を巨門、つまり「大きな門になる島」だと考える。間違ってはいない。巨文島はその地形学的な位置のため古代から東アジアの船路の中心だった。また同じ理由で近代西欧列強たちの間で受難を受けたりもした。それで巨門という名前の方がよく似合う島だともいえる。それにもかかわらず巨文島という地名は人物から由来しているという話がもっと説得力があるように聞こえる。巨文、つまり「学問ができる大きな人物が多い島」という意味だ。大部分地名の由来は地形や山川からきていることと比べるとこれはごく異例的な場合だといえる。ならどうしてこんな名前がつけられたのか?それは巨文島に早くから船路を通した文物と文化の交流が活発だったからだ。それも南道の端の小さな島で立派な人物を育てる土壌になったのである。
19世紀の末、巨文島にはすでにビリヤード場、電気の明り、電話など陸地でも見ることが難しかった近代化の波が上陸した。そして20世紀初めの1905年にはすでに近代学校である樂英學校が設立されるほど巨文島の文化吸収は早くあらゆる方面にわたっていた。それで大きな人物がでてくることができたので巨文という栄光の名前がつけられた。巨文島が西欧の列強たちの間でも生き残ることができて東学運動と激しい抗日運動を最後まで続けることができたのもこのような学識ある人物達が島を守っていたからだ。
天然生態系の宝庫、白島
白島は1979年12月に名勝第7号に指定された。39個の無人群島でできていて上白島、下白島に区分される。巨文島から出発する遊覧船に乗って島の周囲を一回りするのに約40分かかるが島に降りることはできない。おかげで天然希少鳥類と植物がそのまま保存されている。天然記念物15号であるカラスバトをはじめヤイロチョウ、鵜、ウグイスなど30種余りの希少鳥類が棲息している。フウラン、セッコク、ミヤマビャクシン、ホオノキ、ツバキなど亜熱帯植物が353種にのぼり大きい赤珊瑚、コサンゴ、海面動物など70種余りの海洋植物が棲息している天然生態系の宝庫だ。